有田絵梨プロフィール

有田 絵梨(ありた えり)

株式会社プレシャイン 代表取締役

1983年生まれ 熊本市出身・熊本市在住
青山学院大学 経営学部卒業

【会社員時代】
ジュエリーブランドNIWAKAにてジュエリーアドバイザーとして勤務。
2年目で旗艦店の副店長就任。

ブライダルの世界をもっと知りたいと思うようになり、芸能人の挙式などを多く手掛ける テイクアンドギブ・ニーズのウェディングプランナーへ転職。表参道にある式場のプランナーを務める。

その後、アパレル業界へ。ファーストリテイリング傘下の外資ブランドの販売・店長・エリアマネージャーを務め、結婚を機に退職。

【自営業時代】

娘を出産後、デジタルハリウッド渋谷校主婦ママクラスに入学。

2017年6月にフリーランスWebデザイナーとしてデビュー。デジタルハリウッド主婦ママクラスのクラスアシスタントも5期務める。

2019年、夫の転勤で拠点を東京から熊本へ移し、2020年、株式会社プレシャインを設立。コンサルティングとWeb制作を軸としたサービス展開を行なっている。

会社員時代

会社員時代はブライダル・アパレル業界で働いていました。
新卒で入ったジュエリーブランドでは入社して半年で会社過去最高額のジュエリーをご成約いただき、2年目で銀座の旗艦店の副店長に就任。

ご結婚されるお客様たちとお話ししていく中で、ジュエリーだけでなくもっとブライダルの中でお手伝いがしたいと思うようになり、結婚式を運営する会社に転職。

表参道にOPENする式場のウェディングプランナーとして勤務しました。
しかし、夜な夜な残業、休みもない日々で体調を崩し、1年足らずで退職。

25歳で熊本に戻り、アパレルの販売員として働き始めます。

ご結婚という特別なイベント毎のサービスから、お洋服という日常のサービスに変わりましたが、どんなサービスでもセールスでやるべきことはヒアリングと提案。この2つがあればどんな業界でもお客様のためにお仕事ができる!という自信をつけることができました。

当時全国に200名以上いる販売員の中で月の売り上げ1位を獲得し、3年目に店長、5年目にエリアマネージャーとして岡山・広島・小倉・福岡・熊本にある計7店舗の統括の仕事を行いました。

現場を離れ、育成・教育が仕事の中心となりましたが、全くうまくいきませんでした。

同期も後輩もどんどん離れ、一人裸の王様状態で、2年ほど仕事をしていました。辛くて、でももうどう変わったら良いか分からなくて、私が人生の中で一番苦しんだ時期です。

そんな中、夫と出会い、結婚します。

夫も業界は違えど、私の仕事内容を理解してくれる人でした。

ある時、夫に相談したら
「計画の大切さ」を私に教えてくれました。

恥ずかしながら、それまでの私は目の前のお客様を今日、今喜ばせることに集中していて、その結果が売り上げという形に反映され、表彰していただけるような販売員人生でした。

でも、ビジネスはそれだけではダメ。

長期計画・その中で行動し、育成も一人一人が行動できるように寄り添う。

全くできていませんでしたね。でも気づいた時は本当にもう遅くて、

鉄のようにガチガチになっていた私が会社の中で変化していく勇気もなく、
結婚を理由に退職しました。

妊娠・出産

大好きだった会社、大好きだったメンバーと疎遠になり、そしてそれが全部自分が撒いたこと。退職しても悪夢にうなされること2年。

子供もなかなか授からず、2回の流産。

でも、3度目の妊娠をきっかけに悪夢を見ることもなくなり、そして無事に出産することができました。

嘘みたいな話ですけど、私は夫と娘のおかげで、人生どん底だった毎日が少しづつ私らしく生きれるようになってきたと今も心から思っています。

だから、そんな家族を優先した働き方がしたいと強く思うようになりました。

そんな娘が生まれた1週間後に
熊本地震が起きました。

まだ命の誕生を噛み締めているような時期に、この子がもう死んでしまうかもしれない。

夜間授乳の間に起きた地震、我が子を抱きしめながらじっと耐えたあの日のことは忘れられません。

電気も水も止まり、とりあえず夫が転勤で行っていた東京に行くことになりました。

東京に来ると、今度は
親や友達を熊本に置いて、何も力になれずに
東京に来た自分を責めるようになりました。

産後ということもあり、
今思えば、「産後うつ」でした。

助産師さんも自宅に来てくださり
たくさんのサポートサービスや
パンフレットを渡してくれるのですが

全く頭に入ってこない。

・・

そんな中、娘が5ヶ月くらいになった頃、

娘の1日のルーティンができるようになり
少しづつ自分を取り戻していきます。

子育て広場にも頑張っていくようにしてたのですが、

そこで「◯◯ちゃんのママ」と呼ばれること。

待望の赤ちゃんだったし

ママになれた喜びから嬉しかったのですが、

徐々に辛くなっていきました。

ママでも自分らしい生き方をしたい。

自分が成長できるような毎日を過ごしたい。

徐々にそう思うようになったんですね。

そして、以前から興味のあったWebスクールのサイトを開きます。
子連れで入学もできることから

2016年10月
デジタルハリウッドSTUDIO渋谷主婦ママクラスに入学。

15名のクラスメイトと8ヶ月Webを学びました。

フリーランスWebデザイナーとしての現実

2017年6月、世田谷区の税務署に開業届をだし、
フリーランスWebデザイナーとしての一歩を踏み出しました。

そもそも私は自宅教室をやっているママのための
デザイナーになりたい。

そう思って入学しました。

なので、起業して2年ほどは
自宅教室のママさんたちのウェブサイトを作っていました。

しかし、制作を通じて
つながるお客様たちは

まだ、サービスに対する迷いがある方も多かった。

納品したものの

サービスが変わってしまい、公開されないサイトも多々ありました。

せっかく、お仕事のお手伝いをさせていただいているのに
もっと寄り添ったサポートができないだろうか?

そんな思いから
商品設計や見せ方
セールスサポートも行うようになります。

お客様のビジネスステージを上げるためにWebデザイナーになったんだから、ステージを上げるサポートがしたい。

コンサルティングビジネスの始まりでした。

Web集客コンサルティング

2019年ごろからコンサルの仕事を行うようになり、2020年、株式会社プレシャインとしてコンサルティング事業をメインの会社を設立しました。

私が会社員時代に培った、ヒアリングと提案による商品設計を軸にWeb集客だけじゃない。その先の成約まで見据えたWebセールスコンサルティング。

これをしっかり活用することで、自営業・コンサルタントとしての自分のステージもあげられましたし、何よりクライアント様の笑顔が見られる最高の仕事をすることができました。

Webは集客ツールでもあり、貴女の秘書にもなる

Webは集客に使われるツールですが、忙しい女性・フリーランスママたちの最高の秘書にもなります。

実際私も娘が1歳で起業、ワンオペ時代もイヤイヤ期も通ってきましたが、ビジネスが止まらなかったのは1日24時間365日稼働し続けているWebを味方につけたことでした。

寝かしつけしてる間も、娘と子育て広場に行っている間も
私の代わりにWebが集客し続けてくれている。

このWeb集客導線で私の人生変わりました。

Webで成功するには
集客・セールス・デザイン

Webの世界で成功していくには、Web集客導線を作ること、ヒアリング&提案によるセールス力を上げること、そして女性客を引き寄せるにはWebデザインも必要です。

この3つをコンテンツ化してクライアントさんに落とし込んでいるのがPBSです。

これまで長々とお話ししたように、私が全てうまく行ってきた人生ではありません。でも信念はあった。

お客様ファーストでありたい。

家族ファーストでもありたい。

これを実現するためには自分だけではダメ、自分とWebでビジネスを作り上げていくこと。

自分のストーリーから作り上げたPBSは私にとっても大切な「宝物」であり
「愛すべきサービス」です。

最後まで、お読みいただきありがとうございました^^